2015年2月13日金曜日

ペケだけど好き

いろんな場所で生まれる美術
寺子屋 dead or sturdy

16名の講師による24時間ぶっ通しで学習する、という試み。
全ての時間に立ち会いたい気持ちはありましたが、行けたのは吉田悦治先生の落語のみでした。

16番目の授業は、やはり、トリを務めるだけありました、ほんとに良かった!
私、琉球大学教育学部美術教育専修を卒業して良かったと、心底思いました(笑)

学校(先生というものへの)に対して、ある種、ものすごく強い嫌悪を感じていた吉田先生。
けれど、背に腹は変えられないということで、教団に立つことになり、金八先生に出てくるような、ハチャメチャなヤツらとの、学校生活。

アバタもエクボ

トンデモないような行動に出る彼ら彼女ら。
傍から見れば、そんなこといちいち気にしなくても、という悩みでも、本人らにとっては深刻で、解決するために絞りに絞って出てきたその行動の根っこには、人が持つアートの要素がふんだんに凝縮されてるんじゃないかと思う。

美術と教育という、水と油のようなものの中で、疑問、困惑、思考錯誤、行動、反省、笑い、諦め、欲望やらなんやら。
ごちゃ混ぜ危険で、けれどもだからこそ味わいある世界。

青木先生という落語は、落ちこぼれなクラスメイトたちと、鼻音ピーっ鳴らして怒る青木先生との珍妙なお話。

落ちこぼれって何だろね。
どうしようもないかもしれないけど、懸命に生きてるのには変わらない。
違いを面白いと思う柔軟な思考を育てるアートの視点て、ヘンテコでもそれが愛おしいよね。

愛着

情熱を絶やさず燃やし続けるっていうよりも、強火だったり弱火したり、時に火を止めて味を染み込ませる時間も大切。
授業時間を通して育まれる愛着。

ペケだけども、このクラスがわしは好きや

青木先生のこの言葉には愛が詰まってる




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