2013年2月7日木曜日

唐獅子「タイムスリップ的感覚」

 沖縄タイムス1月21日(月)付けで掲載されました。

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あだ名って単純で明快で強烈でおかしい。
中学生の頃は、よくへんてこなあだ名をつけたり、つけられたりしたものだ。
「ちゃめ」なんてかわいいのもあったし、
「どんくん」「たぼみ」「あご」「かっぱ」
「めーめー」「とり」「ふたりぶん」など、いろいろ。
かく言う私も「べん」という、今考えると
なんじゃそりゃ、と思うあだ名で呼ばれていた。

あだ名は本名とは違う妙な親しみというか近さがある。
くだらないことがきっかけであだ名をつけられて、
いつの間にかなじんでいく。
あだ名と私との物語が親しみにかわるのかもしれない。
久しぶりに耳に入ってくるとあの頃のいろんなものがイメージ化される。
ある種のタイムスリップ的な感覚。

2月1日から、伊計島で滞在制作する「ジュネチックin伊計島」という
グループ展に参加するのだが、そのタイトル「ジュネチック」は、
道ジュネーの「ジュネ(巡る・連なる)」と
「チック(~的)」をかけあわせた造語で、
さまざまな歴史や記憶が残る空間で記憶や時間をジュネするという
コンセプトからつけたそう。

会場となるのは旧伊計小中学校。
かつて学舎だった空間には不思議な空気・時間が漂っている。
廃校前にあふれていた子どもたちの会話や熱気、
廃校後も確かに流れ続けている静かな時間。
それらは、運動場や廊下、教室、校内のあちこちでふわふわと浮いている。
校内に入ると、最初はそのふわふわしたものが
ぴったりと寄り添う感じでくっついてくる。
しばらくするとつーっと少しばかり離れて、
私との時間の流れ方との間に距離をおきながらふわふわ浮いている。

私はうろうろしたり、同じ場所でたたずんでみたりと、
その不思議な空気を感じていた。
そして、母校でもないのに、懐かしいような感覚と
今も流れる時間との中で、幼なじみたちとの時間を思い出していた。
あの独特の空気感はあだ名をふいに呼ばれたときの
タイムスリップ感とちょっと似ているな、と思った。

その場に行けない日も頭の中で何度も学校を訪れている。
まだ電気が通っていない自然光が差し込む校内の倉庫、
そこが私の展示場所。
あの独特な空気感の中でどんな作品ができるかと、あれこれ考えている。



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