ありがたいことに、沖縄タイムスで1月7日から隔週月曜日、
「唐獅子」というコーナを担当しています。(全12回)
今日は第2回めが掲載されてます。
まだ読んでないよ〜という方、コンビニでまだ間に合うかも?go!go!!
ちなみに、第1回めはこんな内容でした。
すーっと心になじむ感じを覚えた。
同時に、道に迷った私に、電話越しで道案内をしてくれた知人のことを思い出した。
地図を読むのが苦手な私に、その知人は道路や建物の名称を基準にした説明ではなく、
こんなふうに説明してくれた。
「角を曲がる少し前にちょっと道が開けてるなぁと思うところがあって、
そこに新しい信号が見えてくる。
信号の左には地面がむき出しの工事中の一角が見えるはずだから、
そこの信号を左に曲がって、あとはずーっと真っすぐ」。
それを聞いたとき、すごくしっくりと言葉が私の頭の中に入り込んできて、
同時に風景が現れ、まだその道に来ていないのに、
もうその道を進んでいるようで、不思議だと思ったことを思い出した。
そして、「言葉の地図」という表現を見たときに、
ああ、きっとあの人は、言葉の地図をつくるのが上手なんだと納得した。
初めましてという代わりに、最近思ったことを書くことで、
私の視点を紹介できればと思ってこのことを書いた。
大学を卒業してから、沖縄を拠点に美術作品を制作発表しながら、
美術・教育・まちに関わる仕事をして日々過ごしている。
そうした日々の中で、ずっと気になってたことが、
あるときすーっと入りこんで納得できる瞬間にときどき出合う。
場や人、時間、色、光、においなどを含めた空気感、
そしてそれらはすべて変化している。
経験やそのときの空気や自分自身の状態とかいろんな要素がフィットするとき、
納得の瞬間が訪れるように思う。
人が納得するって何なのか、それを探すために表現活動をしているのかもしれない。
一見変わらないものや状況も、自分や他人も気づかないほどに小さく動きだしていて、
流れる時間の中で、そのことにはっと気づく瞬間や変化があるということ。
それを美術を通して表現してみたい。
時間がかかってもその方法を探したり、
出会う瞬間を待ったりする時間も含めて表現できないだろうか。
ぼーっとした時間の中で、ふと、何かを思い出して、
あぁ、そうかと納得することって、
ある瞬間に何かを許したりすることにも似ているな。
これから、日々で感じたいろいろを書かせていただきますので、
どうぞよろしくお願いします。
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