2013年6月25日火曜日

終わらない問い

6月24日(月)付けの沖縄タイムス「唐獅子」に掲載されました。

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「樽(たる)流し」という風習をご存じだろうか。
海の神様に対する信仰をあらわす手段で、直接奉納に行けない人々などが
海上安全を祈って、初穂などの献上品を酒樽に入れて海に流す。
それを見つけ拾い上げた人が、金刀比羅宮へ持っていき代わりに参拝する。
樽を流した人、拾い上げた人、双方に神のご加護が得られるという
瀬戸内地方の習わしらしい。

前回、「瀬戸内国際芸術祭2013」に出展するため、
香川の本島(ほんじま)を訪れたことに触れたが、
そのときに、たまたま流し樽を拾い上げた方にお会いした。
私は、そうした風習があることを、そのとき初めて知った。
流し樽を見つけたのは、友人の義母のお兄さん。
お宅におじゃましたとき、流し樽に同封された手紙を見せてくれた。
そこには「金刀比羅宮へ奉納してくださる方へ」と、
樽を拾い上げてくれた人に対する代参のお願いと奉納者の名前などが書かれていた。

誰とも知らない相手に祈りをのせた樽を託し、海に流す。
潮の流れでどこに行くとも知れない樽は、どんぶらこっこ、ざんぶらこっこ、
流れ流れて、祈りを託される相手を探すように波に揺られ続ける。
海の上に浮かぶ樽を見つけた人は、それを拾い上げ、
祈りを届ける責任を受けて、金刀比羅宮へと奉納する。
海に対して人間が契りを交わすための儀式。

自然界と人間との契り。
自然からの恩恵を感じ、感謝し、バランスを崩してしまわないように、
侵してはならないルールを守る。
人間が自然に対して契りを交わし、自然界を通して生を営み、存在すること。
奉納者からの代参のお願いが書かれた手紙を見て、そんなことを感じた。

そして、それは個人と個人とが契りを交わし、
家族になることとも通じるように感じた。
家族として幸せに暮らせるようにと祈りを込める。
愛情を誓い、互いを認め合い理解し合い、ともに過ごすこと。
個人が個人に対して契りを交わし、家族として存在することと、
人間が自然界で存在することは、同じことのように思った。

ここにいるために、何に対して何を守り、何を誓い、どう存在していけるのか。
流れ流れて託された手紙を前に、終わらない問いかけを投げられた気がする。



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