2013年5月13日月曜日

アートを通した会話

2013年4月29日(月)付けの沖縄タイムス「唐獅子」に掲載されました。
また、本日付けの沖縄タイムス「唐獅子」に
ーつながる瞬間、ぴぴぴっー という文章も掲載されています。
どうぞこちらもよろしくお願いします。

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2011年に解散した前島アートセンター(以下、MAC)。
私はそこで大学卒業後、スタッフとして2年間働いていた。
拠点である那覇市前島3丁目にあった
TAKASAGOビルが閉鎖されるときに、
イベントを開催したのだが、その日のことを時々思い出す。

MACによく遊びに来る小学生の女の子がいて、
ちょっと手のかかる子だったけど、
私にとってなんだか気になる存在だった。

ビルでの最後のイベントなので、買い出しに彼女を誘ってみた。
買い物を終えて、戻る車の中で、
もうすぐビルがなくなること、MACは新しい場所に移ること
(事務所は同じ前島3丁目内で
TAKASAGOビルのすぐ側に移ることが決まっていた)、
新しい場所にもたくさん遊びにきてほしいことを彼女に話した。

そして、ふと、「大きくなったら何になりたい?」と彼女に聞いた。
「アートセンターの人になりたい」と彼女は答えた

「へっ?」何だか以外なその答えに、
そのとき、うれしいという気持ちなのか何なのか、
私の胸はぎゅっと音をたてた。

彼女にとってのMACは何か残る存在であったのかもしれない。

そう感じられる時間の中に、私も存在できたことに対して、うれしくもあり、
これから美術や社会や子どもたちやそれを取り巻く環境のことに対して、
自分自身がどう向き合っていくのかを問われているような気持ちにもなって、
どきりとさせられた。

何かを引き起こしたり、引き出したりするきっかけになりうるもの。
うみを吐き出し、進むことを後押ししてくれるもの。
アートにそういった可能性があるのだと信じて関わっているけれど、
時々わからなくなるし、不安になる。

大きく変化する華々しい効果の裏には置き去りにされるものがあるかもしれない、
でも、全てをすくい上げることなんて不可能で、矛盾が生じることだってある。

アートを通して、どう生きていくのかを
ああでもない、こうでもないと、言語を交わし続けることに意味がある。
いろんな人間が存在する世の中で、会話は尽きることはないだろう。 

今あの子に会ったら、あの頃のことやこれまでのこと、
そしてこれからのこと、どう話せるだろう。

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