3月18日(月)付けの沖縄タイムス「唐獅子」に掲載されました。
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「あ・・・っ」と言って、小さな指が指した先を見ると、白い月。
まだよちよち歩きができるようになったばかりの頃だったと思うけど、
月を見つけるのが上手なその子は、まだ明るい空に小さな指を向けて、
どこに月があるのかを教えてくれた。
月を起点に、自分が今どこにいるのかを感覚的に感じているように思えて、
20歳以上離れた小さな子どものそんな仕草に、
とっても感動したことを覚えている。
今、自分はどこに向かっているのだろう、
行く先がわからなくなることがときどきある。
そんなときに私は夜の海に向かう。
月が浮かぶ海を見て、揺れる波や音、光や潮のにおいを感じる中で、
だんだんと落ち着いていくし、そのときに必要でない部分をそぎ落としてくれて、
大丈夫、と先に進める力が湧いてくる。
光や色や風やにおい、自然界が与えてくれるいろんなものが、
身体や気持ちをクリアにしてくれる。
大学生の頃、こども対象の自然体験プログラムを手伝っていたことがあって、
子どもたちと一緒に山に登ったり、川や海で遊んだりしていると、
身体が地球と一体化しているような感覚を受けて、
それがとっても気持ちよかったことを思い出した。
夏の暑い日に、ざぶんと水の中に入れば、
太陽に温められてとろんとした水が身体を包んでくれて、
なんだか元気になってくる。
すーっとした森の空気を頭の中まで通すように吸い込んで、
ふぅっと息を吐き出すと、重く感じたものが不思議と抜けていく。
「自然体」って、自然と一体になることなんじゃないだろうか。
自然からのあるがままを身体を通して感じることで、
頭で考えていたことがそぎ落とされて、シンプルになれるからクリアになるし、
いろんなものがみえてくる。
そして、自然を感じることは羅針盤で方角を確認することに似ている。
森のおいしい空気を思いっきり吸い込む。
晴れた日に向こうの景色が気持ちよく見える。
川や海の水にたっぷり包まれる。
気持ちいいなぁと思うことが当たり前にできる環境を壊すことは、
自ら羅針盤を捨てて迷子になることのように思える。
白い月を指さしたあの子が大人になったとき、羅針盤をちゃんと残しておきたい。